4月6日② ちくちく地区:結婚

友人の作家、田口健太くんの結婚パーティー@名古屋でちくちく地区ワークショップをすることになり、宮田+笹と田口くんで打ち合わせをしました。時期は7月中旬で、同時期に個展も行うそうです。田口くんの作品は面白いとおもいますよ。

田口健太website 〈Kenta Taguchi works〉
http://kenta-taguchi.net/

PEELER 現実と非現実の境界に立ち上がるリアリティ 
田口健太展 “はじまり”/TEXT 田中由紀子 
http://www.peeler.jp/review/0910aichi/index.html

ひかりぼっち
 絵を見るというのは、絵を見て感動するというのは、いろいろを置いておいて絵とそれを見ることを考えたとき、絵から反射したひかりが目まで届いて、目から脳みそまでそのひかりの信号が行って、脳みそから何かがこころまで届くことだ、と違うかもしれないけど言ってみる。

 絵を見ることが出来たときというのは、絵を見て感動することが出来たときというのは、絵につめこんだひかりが、いくつも反射や屈折や拡散を繰り返しても、こころまで届くことが出来たときだ、と言い換えてもみる。ぽつんと絵の前に立っていても、それだけでは絵が見られたことにはならないだろう。

 反対に、絵を描くというのは絵を見るのと順序を逆にすればよい訳ではなくて、つまりひかりを当てれば浮かび上がってくる訳ではもちろんなくて、古今東西にいろんなやり方があって、ぼくはその方法をちょっとだけしか知らないけれど、それぞれに絵は出来てゆく。

 絵を描くことが出来たときというのは、しかしまた古今東西の絵の出来るさまを恐ろしく簡単にまとめれば、やはりひかりを詰め込むことが出来たときなのかもしれない。こころのひかりを脳みそが信号に変えて、手に持つひかり(それはペンでも筆でも何でもよい)を紙に向け、こころと紙と脳みそとを、行きつ戻りつ絵は出来るだろう。

 とはいえ田口健太の絵にしてみればそんなことはおかまいないようで、いつでも水面をゆらめくひかりのように悠然と、黒と白とがたゆたっている。彼は絵を描くとき、そのままの意味でひかりを詰め込む。きっとぼくらのこころまでも来るだろう、ひかりぼっちの絵なのである。 Jun.1 2008宮田篤

by ochakann | 2011-04-18 00:42

【ちくちく地区:井野団地/宮田篤+笹萌恵】(取手アートプロジェクト/茨城)


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