5月23日 千年パーマ/恋の千年・力の千年

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普段ぼくは「アート」と言わずに美術とか芸術とか言ったり、「ワークショップ」と言わずにあそびとか催しとか、「インスタレーション」じゃなくて設えと言ったりします。「イベント」という言葉もあまり使いません。自分のしていることを自分で考えているときに、それらの言葉がしっくりこないからだと思っています。

「アート」っていう言葉が引き受けてしまうぼくにとっていらないものがあるような気がするし、「ワークショップ」というにはもっと洗練されたプログラムでなくてはならないような気もするし、「インスタレーション」しているというより会場を設えていると言う方が考えやすい。

もちろん他の人と話すときには通りの良い前者の言葉を使う機会が多いですが、このあたりの言葉をぼく個人として感覚的にしっくりするか、批判しつつ使っているのでした。だから他の人が使う分には気にならないことも多くて、でもたまに違和感が残るときがあります。ただ違和感があっても発端が感覚的なものだからか、言語化して把握することができなかったりもします。

今日は来月19日の「アートをつまむ」会のための打ち合わせで、レジデンス中の黄金スタジオで制作のみなさんといろいろと話したのですが、話を聞くたびに大小さまざまな違和感が続出して、くたびれました。
当日参加してくれるながつくんも打ち合わせに来てくれて、いろいろと違和感があったらしく、かわりに言葉にまとめてくれたりしたのでちょっと助かりました。

<<http://twitter.com/ngty1r芸術家の支援をするということと、芸術を基準に社会をつくりかえようとする動きとが、イコールで語られるということが、危険性を孕んでいるということに、多くの場合は無自覚。>>

「枝豆をつまみつつ微分帖もつまむ」とか、ゆるい面白い企画ではあると思うんだけどなぁ。きっと当日のぼくやふかさわ君のあそびは「美術でしか持って来れない時間や空間」や、「そこでしか生まれない良い関係」を持って来れるはず。楽しくなるはず。

だけど、「アートをつまむ」企画/企画主体の来し方行く末を考えると、そこにぼくが何かできないか/何をしてはいけないかと思うと、自分の知識や経験のなさにがっくりときました。

まぁ、そのあと視聴室のライブを聴きつつ、ぼくとながつくんと笹萌恵でいろいろしゃべった時間は良い時間ではあった。
by ochakann | 2010-05-25 03:55

【ちくちく地区:井野団地/宮田篤+笹萌恵】(取手アートプロジェクト/茨城)


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