4月30日 としょ感と図書館のまとめ

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4月もおわりになるので、メディアセブン「としょ感と図書館」の、とりあえずのまとめをしてみます。箇条書きです。

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つまり微分帖というのはすでにそこにあるテキストに介入していくこと、あるいは介入されること、される可能性のこと。

とおくから一本に見える線は近づいてみると歪んで蛇行して何本にも分かれたり誰かにらくがきされていたり、ねこがいたりちいさな花が咲いていたりして、また離れて見たってもうただの一本の線には見えない。ぼくとあなたと彼と彼女のいる部屋は、じつは彼女がコーヒーをこぼしていたり彼が窓ガラスを割っていたり、いつの間にかあなたがいなかったりぼくたちは暗殺部隊だったりするが、それはみんなで微分帖を「やってみないと」分からない。

ぼくの昨日のすてきなエピソードは、彼のいたたまれない気持ちや彼女の思いつきや、どうでもいいことや大事なことやあなたの生い立ちなんかを引き連れてひとつの矛盾した不自然なテキストになる。それはその日その場でしか絶対に書かれないし、もう2度と書けない。想像力と文章力と理解力を刺激して、思い出や思いつきや思い違いをつっこんでできる「みんなのおはなし」。それは芸術と芸術じゃないの間にあって、そこにしかないもの、かもしれない。

「としょ感」はそこらへんのまだあんまり人のいない土地に設立されていて、蔵書を増やしたりするために「いどうとしょ感」というアウトリーチをしたり、たまに蔵書の虫干しのために300冊だか500冊だかの微分帖をすべてひろげて「ことばの壁」をつくったりする、のかもしれない。

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「としょ感と図書館」では、「いつもとしょ感でやっていること」を、「いつも図書館がやっていること」に置き換えてみたような気がする。

「かわぐち詩律いどうとしょ感」で言ったこと。「みんなで作った微分本は、図書館に来れば1年後でも10年後でも見られるよ。また見に来てね。」というのは、いつも言っている「みんなでつくった微分帖は、いつかまたことばの壁をつくったときや、次のとしょ感のときに見られるよ。また来てね。」というのと一緒だと思った。忘れてもらって思い出すくらいがちょうどいいのも一緒だ。

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つなげること。つながりに気づくこと。そこにない線をあると言うこと。

「としょ感と図書館」は微分帖の入り口を丁寧に考えた展覧会でもありました。次はもっと微分帖の中のことを考えてみてもいいのかなぁ。1年とちょっと前、微分帖が300冊のときにやった「ことばの壁」、微分帖が600冊に届きそうなので、またそろそろ虫干しのためにもしたくなってきました。

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by ochakann | 2010-05-03 03:38 | ことばの壁

【ちくちく地区:井野団地/宮田篤+笹萌恵】(取手アートプロジェクト/茨城)


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